現代文化論叢

現代文化への「解釈」を探究する

タイドラマ徒然01:タイBLって何なのか

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先日まで放送されていた「2gether」というドラマをきっかけに、日本でもにわかにタイBLが人気を呼び始めたのに便乗して、僕もタイBLを見始めた。

ということで、このあたりで自分の見た作品の感想を面白かったと思う順に書いておきたい。

「DARK BLUE KISS」

私見では、一番人間を描くことに成功しているのがこの作品だと思う。タイBLが新人俳優の登竜門として利用されがちな中にあって、主人公のPeteを演じたTayと、Kaoを演じたNewは既にある程度キャリアを積んでいて、感情表現も巧みだろうと思う。脇を固める俳優たちも堅実な印象だ。

個人的には、タイBLを駆動するエンジンは「怪我」と「嫉妬」だと思うのだが、この作品はその中でも特に「嫉妬」に重きを置いた作品になっている。

短気で自己中心的なお金持ちのお坊ちゃんであるPeteが、Kaoの家庭教師先の生徒Nonに嫉妬するのであるが、ことをややこしくしているのは、このNonがKaoのことが好きだということである。

従ってPeteのNonへの嫉妬は、あながち的外れでもないのだが、KaoはNonが母親の上司の息子であることや資金的な問題もあって家庭教師を断るわけにも行かない。Peteには「家庭教師はやめた」と嘘をつきつつ、家庭教師を続けることになる。

問題はそれがバレたところからややこしくなる。

しかしそこから感動的な展開を迎えることになるのだが、NonがKaoに、酔ったはずみで強引に関係を迫ったところを、却ってKaoがNonに関係を迫ったかのように誤解され、そのことが世間に知らしめられる。

その騒動の中、既にKaoと絶縁状態にあったPeteは、Facebookライブ配信で、Peteの身の潔白を訴える。

どこが感動的かと言えば、第一に、「嫉妬」が高じて既に絶縁状態にあったにも関わらずPeteがKaoのために配信したという事実であるが、第二に、それ以上に感動させられるのは、本来Peteは人前に出て話すのが得意なタイプではなかったということである。

短気で自己中心的なPeteが、自分の愛する人のために、苦手であるにも関わらず人前に出てKaoのことを守ろうとする。それが感動的である。

もちろんそれだけでなく、その後のプールの中でのキスシーンも、おそらく世界にあまたあるキスシーンの中でもトップ100には入る美しさであろう。

そうした点からも、この作品を一押ししたいところである。

「TharnType」

次に感動的だと思ったのは「TharnType」である。

主人公のTharnとTypeは2人部屋の同室なのだが、ある日ひょんなことからTypeはTharnがゲイであると知る。Typeは諸事情あって(ここが重要なのだが)ゲイを嫌悪していたこともあり、幼稚ないたずらで同室を追い出そうとする。

それが色々あるうちに恋仲になってしまうのだが、注目すべきはこのホモフォビア(同性愛嫌悪)についてである。

作中でも、Typeの同性愛嫌悪が問題視され、「性差別主義者」と大学の掲示板で批判を集めたりするのだが、彼のそうした考えには壮絶な過去があった。というわけで、ここで我々はホモフォビアが単なるホモソーシャルの副作用としての端的に非難されるべきものではないことを示している。

結局Typeは女性とセックスできず(それもそれで感動的なシーンだが)、自分が「ゲイ」の仲間入りをしたことが分かるのだが、それでも彼は「ゲイ」に対する苦手意識を克服できない。

Typeの地元の友人にKomという男の子がいて、帰省の折2人で出かけた先でTypeは外国人の男性に声をかけられるのだが、その流れでその男性=ゲイを罵倒する。その様子を見たKomはTypeに、自分もゲイであると伝える。

最終的にスペシャルドラマでTypeはKomに再び会い、ゲイに向けた発言を謝罪する。しかしその時でさえ、Typeはゲイへの苦手意識を克服できていない。彼は、ただ目の前に現れたゲイ=TharnとKomを、「苦手とするゲイ」のカテゴリから除外することでしか、ホモフォビアを乗り越えられない。

「ゲイだって素晴らしいじゃないか」みたいな安直なアンチ‐ホモフォビアに終わることがなかったのは、高評価されるべき点だろう。

ここでも物語を駆動するのが「怪我」と「嫉妬」であることは注記しておきたい。

「3 will be free」

厳密に言えば、このドラマは一般的にカテゴライズされる「BLドラマ」のカテゴリにはない。

主人公は3人。Miwは田舎を諸事情で追われ、バンコクで売春宿(と言っていいと思う)のマネージャーをしている女性。Neoは男娼をしており、Shinはマフィアのボスの一人息子。

この3人がある事件に巻き込まれ、マフィアの追っ手から逃げ回るという話なのだが、その過程における人間ドラマの描き方が非常に巧みである。

例えばこの3人を追うTurやPhon、Phoneの彼女でトランスジェンダーのMaeの造型などは、単なる敵役として断ずるのには惜しいほどの深みがある。

Neoはバイセクシャル、Shinはゲイと、よくある男2女1の三角関係だけには留まらないような複雑さがある。しかし、その3人が選んだのは、この3人が緩やかな恋愛関係を共有するという結論であった。

ここに端的に現れているように、このドラマが描いているのは、「抑圧からの解放」であったように思う。地元を女性であることに起因する事件によって追われるMiwは、体を売り盗みを働くような貧困から逃れられない。Neoは大きな夢を抱えながらも、Miwのように貧困から逃れることはできない。一方所得に余裕があるShinは、父の重圧から逃れられない。

「3 will be free」というタイトルが示す、即ち「3人は解放されるだろう」という意味について考えると、それは単純に「マフィアという追っ手から解放される」ということを意味していない。彼らには、「恋愛は2人でするものだ」ということを含めて、ありとあらゆる社会的規範や社会構造の抑圧が存在する。そこからの解放をこそ、このタイトルは意味しているのである。

一方残酷なのは、追っ手であったTurやMaeは最終的に解放されなかったという点である。

全員が社会の抑圧から解放され、めでたしめでたしとはならず、復讐と憎悪の連鎖の中で生きなければならない人もいる。その残酷さに考えさせられるところがあろ。

「2gether」

タイBLの日本でのブームの火付け役となったのが「2gether」であろう。

主人公のSarawatを演じるBrightと、Tineを演じるWinだが、圧倒的な顔面美に惹かれて物語を見ると、その重層さに驚くところだろう。

いや、物語の表層はとっても薄い。大学に入学するやいなやGreenというゲイに好かれてしまったTineは、そこから逃れるため、話題のイケメンのSarawatに偽の彼氏になってくれるよう頼む。そこから本当に心が移って、という展開になる。

一気に物語が深みを帯びてくるのは、Sarawat側の視点で物語が解き明かされたときである。それまで元気いっぱいの男の子という感じだったTineの物語の中で謎多きイケメンだったSarawatが、物語の主軸に置かれた瞬間、一気に物語が深みを帯びてくる。

2人が結びつくまでにも、恒例の「怪我」と「嫉妬」が重要な役割を果たすわけだが、意を通じた後物語を展開させるのも「嫉妬」であった。

12話に不意に現れたPamという女性が、Sarawatの初恋の人でTineは彼女に嫉妬するのだが、一言で言えば「悪い女」である。なんだかこの女性の「悪い女」っぷりに、ミソジニーの気配を感じ取った人もいるようなのだけれど、個人的にはまあ許容される範囲だろうと思う。

最終的にTineはSarawatを再び信じることにするのだが、その過程にやや物足りなさを感じる。物語前半の充実に比較して、後半の失速感が否めないというのが正直なところである。

「SOTUS」「SOTUS S」

タイBLのなかでは「必修科目」とさえ呼ばれる作品である。

この作品の好き嫌いは、この大学のSOTUSという、上級生の新入生への教育システムを許せるかどうかというところに現れると思う。ほとんどパワハラで訴えれば賠償金が取れそうな横暴が繰り広げられるのだが、「それもまた真意あってのこと」と物語内では解消される。

ハラスメントに厳しい現代日本の若者である僕としては、いかなる理由があろうとSOTUSで行われたような横暴が許されてはならないと思ってしまうのだが、そこを飲み込めないと、この物語に高評価を与えるのは難しかろう。

キャラクターに関してさえ言えば、Kongpobの漂わせる「不思議ちゃん」のような雰囲気は嫌いではないし、彼の真意が明かされた後のArtihitの「可愛げ」のような部分は非常によく演じられているだろうと思う。

より評価されるべきなのは、強いて言えば続編の「SOTUS S」の方で、社会人1年生として甲斐甲斐しく働くArtihitの姿などには同情を禁じえないところもあろう。日本で同じ筋立てであれば、あと2つか3つは2人に試練を与えたであろうから、単調さを感じるとしたら、それがタイのドラマの特質であると言えるだろう。

「Love by Chance」

こちらも「SOTUS」と並ぶような、タイBLにおける偉大な作品であるが、VPNを使えば日本からでもYouTubeで見られる。特筆すべきは、そのYouTubeの日本語字幕である。

おそらく日本語字幕をつけたのは有志なのだろう。訳としてのクオリティは分からないが、「キャラクターを活かす」という一点においてほとんど奇跡的な様子ですらある。

メインのカップルはAeとPete。恋愛経験の無いような不器用なAeと、(おそらく)当初からゲイであることを自覚している純粋な少年Peteを、PerthとSaintという俳優が初々しく演じている。

おそらくタイ語が分かれば、Saintの演じるPeteは純粋な控えめな少年といった具合なのだろうが、しかし日本語字幕がSaintの妖艶な表情を際立たせる形になって「魔性の少年」といった雰囲気を湛えている。

AeとPeteのカップルは後半セックスしているだけなので、サブのカップルであるMean演じるTinとPlan演じるCanの方が、物語としては重厚だろう。家族からも愛されてこなかったMeanは、精神分析の言うところの「転移」のような理由でCanに愛を向けるのだが、2期ではその愛が単なる「転移」を乗り越えられるかが見所だろう。

「WHY R U?」

こちらは、主人公Zonの妹が書いたBL小説の通りに、現実がBLだらけになっていく、というストーリー。

現実とフィクションの世界が入り混じる作品としては、日本では長瀬智也主演の「泣くな、はらちゃん」があったり、映画『バクマン。』もそういう演出があったし、韓国ドラマでもイ・ジョンソク主演の「W‐君と僕の世界‐」なんかがあった。

折に触れて、現実世界のBL展開が進むたびにZonが「BL小説が現実になった!」みたいなことを言うんだけれど、フィクションと現実が入り混じっているという設定は、結構蛇足だった感がある。

この設定が役割を果たしているとすれば、それは多少強引なキャラクター同士の恋愛に動機付けを与える感じ。

例えば、Zee演じるFighterとSaint演じるTutorが恋愛関係になるんだけど、はっきり言ってきっかけが分からない。いや、多分Fighterの一目惚れなんだけど、謎に女性と付き合ってみたりして、よく分からない。

Jimmy演じるSaiFahとTommy演じるZonのカップルの方も、ギターの練習の最中になんとなく恋愛感情を抱くようになったのはわかるんだけど、ちょっと唐突すぎる感がある。

なぜ唐突に恋愛感情を抱くのか? それはBL小説が現実になった世界だから、みたいなことになっているんだけれど、果たしてそれで納得できるだろうか。

とは言いつつ、物語の筋が若干粗いことを除けば、キャラはものすごく魅力的なのだ。なんといってもSaintだろう。

「Love by Chance」で妖艶な、魔性の雰囲気を漂わせていたSaintであるが、それが日本語字幕の功績が大きかったのに比べて、こちらは明らかに妖艶な雰囲気を漂わせている。

このドラマは後半、多少のいざこざがあることを除けば、ほとんどずっとイチャイチャしているので、そういうのが好きであれば高く評価できるだろう。