現代文化論叢

現代文化への「解釈」を探究する

【随想】新型コロナウイルスが関わるとなぜ人は馬鹿になるのか

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新型コロナウイルスは、感染し、インフルエンザよりも高い確率で人を死に至らしめるウイルスであるという以上に、それに関わり、そのことを考えた人を馬鹿にするウイルスなのではないか。

その疑念がこの数日頭から離れない。

PCR検査をめぐって

まずそのことを考え始めたのは、PCR検査についての世論である。

日本はPCR検査を絞り、統計上の感染者数を少なく偽っているのではないかと言われる。

ここで出てくるのが、①政府の方針は間違っていない、という人々と、②もっと広くPCR検査を実施すべきである、という人々である。

槍玉に挙げたいのは、②の方である。

これほど「馬鹿」な発想も他にない。

日本の致死率は(現段階で)2.2%ほど。ドイツが0.5%、韓国やクルーズ船での致死率が1-1.5%であることを考え、ウイルスによる致死率が本来的には等しいと考えると、日本には現状把握できている数の2倍から4倍の感染者数がいることが想定される。

もちろんこの想定は、ドイツ・韓国・クルーズ船では感染者を完全に把握できていること、日本の致死率が正確であることに依拠しており、精度は低いのだが、日本での死者数の多さが、把握できている感染者数の少なさに対応したものと考えるのは、妥当だろうと思う。

さて、そこでPCR検査だが、この問題については「検査で陽性が出た」→So what?(だから何?)というところに尽きる。

日本では、感染症法の取り決めによって、指定された感染症に感染した人々は全て入院しなくてはならないことになっている。そこで、大して症状の無い「感染者」を増やしたところで、医療を圧迫するだけである。

感染者数の約半数では症状が出ないという説もあり、PCR検査で、そうした無症状者を特定したところで、「無症状なのに入院」という形になり、医療の現場を圧迫することは間違いないだろうと思われる。

そこで重要なのは、無症状者は切り捨てる(だってそうしたって何の問題も無いのだから)という姿勢であることは、火を見るより明らかである。

そこで「安心のためにPCR検査を」などと言うのは、はっきり言えば「馬鹿」の妄言であって、これっぽっちの科学的正しさも無い。

経済対策について

経済対策について恐るべきは、およそネット世論が「現金給付を」という方針で一致していることである。

そこで思い出して欲しいのは、「それってアベノミクスをもう一度やれっていうことなのでは」という点だ。

アベノミクスの三本の矢とは当初、①金融緩和、②財政出動、③規制緩和であった。

つまり、政府が国債発行をしてでもお金を使う、その国債を日銀が買い、市中に現金を流通させる、という作戦である。

もちろんこれは、①マネタリズム、②ケインズ経済学、③構造改革の焼き直しであるのだが、そこを組み立てたところにアベノミクスの特徴がある。

それをもう一度やれ、と、国民は望んでいるのではないか。

あれだけ評判の悪かったアベノミクスを。

アベノミクスは失敗した、と首相に言わせんがため頑張ってきた野党一同は、財務省のレクを受けて、「財政出動はむやみにすべきではない」などと考えてきたはずである。しかし、ことここに及んで「財政出動を」などと姿勢を変えるのは、(悪いことではないが)「馬鹿」の発想ではないか。

つまり、そこにあるのは経済学的な根拠などではなく、「お金が欲しいからお金くれ」程度の深さしかない欲望である。欲望に忠実であり、理想を語るのをやめた人々を「馬鹿」と呼ぶのは当然だろう。

緊急事態宣言について

緊急事態宣言についても、ネット世論は概ね「遅い」と考えているし、専門家会議も「遅い」と考えているらしい。

とは言うものの、本当に緊急事態宣言が出されることは、正しいのだろうか。

僕は保守を自認しているので、緊急事態宣言は大いに出せば良いと思うし、遅すぎるという発想も分かる。現状の特措法に強制力が無いことを考え、憲法を改正してでも、なんとか強制力ある方法を(少なくとも次の感染症流行までに)考える必要があるだろうとも思う。

しかし一方、僕の中のリベラルな僕が言っている。「本当にいいのか」と。

国民の活動を国家が制限する、そこに対して何のためらいもなく「早くやるべきだ」などと考えるのは「馬鹿」なのではないだろうか。

そもそも緊急事態宣言とは、「緊急事態になった」と宣言するものであって、「緊急事態になりそうだ」と宣言するものではないはずだ。

諸外国を見れば、日本の現状は、本当に「緊急事態」と呼ぶに足るものなのか、そこを考えない発想には、ほとほと嫌気が差す。これぞ「馬鹿」の発想ではないかと思わせられる。

 

     ◆

 

以上、3つの観点から、新型コロナウイルスをめぐる「馬鹿」をあげつらってきたが、深く危惧しているのは、国民が、新型コロナ流行以後も「馬鹿」のままであるということである。

「馬鹿」が治らない、そのことを危惧しながら、筆を置きたい。