現代文化論叢

現代文化への「解釈」を探究する

review11:津村記久子「浮遊霊ブラジル」

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表題作だけあって、文春文庫から出ている津村記久子『浮遊霊ブラジル』で、最も面白いと感じた作品は、「浮遊霊ブラジル」だった。

そもそも主人公が「浮遊霊」という設定自体がかなりぶっ飛んでいるし、それを描き切ってしまうのは、津村記久子本人の哲学や宗教観というよりも、軽妙なユーモアのセンスだろう。それが「些末な事実関係」みたいな正誤を乗り越えて、この作品を支えている。

そして何より主人公は、70代を過ぎた男性なのだ。ここまで作者本人と乖離した主人公も珍しかろう。そして浮遊霊となったあと憑依することになる人物も、男性から女性まで、そして国籍さえ乗り越えてしまうのである。

その「私」はアイルランドアラン諸島に行きたいと願う。それは一時遠のくように見えるのであるが、実際には最後にアラン諸島にたどり着く。そしてそのことが、「人間万事塞翁が馬」みたいな極めて典型的な帰結に終わった、「収まりの良さ」みたいなものに対して、物寂しさが無いではないが、しかし現代において、ここまで飛躍した形で『淮南子』を反復したその手つきに、まずは感嘆せざるをえない。そして、それが端的に「面白い」と感じさせる作品に仕上がっている!

この軽妙さは、人々ににこやかな顔をして歩み寄ってくるだろう。そして僕たちはその微笑みに「騙されて」、抱擁する。そのときに、この軽妙さの裏にある「普遍」の深さに驚くのである。