現代文化論叢

現代文化への「解釈」を探究する

ジャニヲタ研究大事典13:「不仲説」

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最初に述べたように、ジャニーズとは一種の文学である。

というのも、「Aである」とタレントが発言したとき、それが本当か嘘かを判断する根拠をジャニヲタたちは持ちえない。つまり、全くそのとおりであると信じるか、嘘に違いないと考えるかの二択を迫られる。

その中で出てくるのが不仲説である。

グループを結成したタレントたちは、アイドル雑誌などではグループ全員仲が良いというふうにアピールするわけだが、そもそも上層部の意向で強制的に結成させられたグループ全員が突然仲良しになるはずもなく、不仲であることもあるだろうと推察される。

与えられる情報が少ないジャニヲタたちは、動画や映像、コンサートやライブなどでの距離感や接し方から不仲説を唱えたりする。

一方、それだけの情報に加えて、プラベ(プライベート)での情報を得ようとする動きも、情報垢などではある。つまり、アイドルとして活動していない時間帯に、どのように振る舞っているのか、どのように発言しているのかを知ろうとするのである。

プラべにおいて、推しは果たして「出来た」人間なのか、それともそうではないのか。こうした情報もやりとりされ、特にジャニーズJr.の場合、よくできたジュニアという意味でデキジュ、そうではないジュニアはカスジュという呼称が用いられる。

こうした中で、当然「私生活はカスジュだが、アイドルとしてはデキジュ」というようなことがありえ、「アイドルとしてしっかりしてくれていればいい」といったような考え方の者がいる一方、私生活でのことが後のデビューに関わらないか心配するジャニヲタもいる。

また、カスジュとしてのエピ(エピソード)のことを、カスエピといい、そうしたエピを好んで集めるヲタクも存在する。

しかし、そうしたプラべの情報を信じようとせず、雑誌などで語った発言を全て鵜呑みにするヲタクも存在する。こうしたヲタクは、ヲタクのなかでお花畑純オタと揶揄される。

お花畑のジャニヲタは、タレントのキャラをそのまま信じようとする。そのキャラづくりに重要なのが、尊先である。これは「尊敬する先輩」の略であり、尊先が誰かによって、そのタレントのキャラが定まってくる。それは尊先のキャラと、タレント本人のキャラが重なってくると想定されるためである。