現代文化論叢

現代文化への「解釈」を探究する

アメリカ民謡研究会Haniwa序論:「VOCALOIDと区別される音楽の解釈。」を聴く

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VOCALOIDと区別される音楽の解釈。 / 結月ゆかり

前回、「二台のドラム、一本のベース、合成音声よりあなたへ。」を聴いたときに、この楽曲の特質は、音楽の一回性を否定してみせ、「実験」として再現性を持っているところにあるという話をしました。

今回の「VOCALOIDと区別される音楽の解釈。」は冒頭、「ベースのボリュームノブをゆっくり上げ下げする音」「ベースの弦を激しくはじいた音」「手が弦に接触した際に生じた反復音」から始まります。

これが面白いのは、果たして、こうした単なる「音」を「音楽」と呼ぶことができるのかという問題です。例えば、机の上からガラスのコップを落として、割ってしまったとする。「ガシャン」という音が鳴るでしょう。しかしそれは単なる「ガシャン」という音なのであって、「音楽」と呼ぶのは憚られるような気がします。

ジョン・ケージの「4分33秒」に多少の造詣がある人は、「いや、単純な音だって音楽になりうるのだ」とお考えになるかもしれませんが、私見ではそれは違います。ジョン・ケージの「4分33秒」が重要なのは、その楽曲が(無演奏という形で)4分33秒間続いていることだと思うのです。

つまり、4分33秒間の沈黙のうち、あちらこちらから適当な音が鳴るわけですが、それが「音楽」と呼ばれるのは、その適当な音が連鎖するからなのであり、単発の、例えば「ガシャン」という音では「音楽」にはならないのです。

 

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こうした点からも、冒頭の3つの音、それが「音楽」と呼びうるかは微妙な問題です。この3つの音は、連鎖しているような気がする。しかし、単発の音が3つ続いただけで、「音楽」と呼ぶべき連鎖ではないような気もする。

ここから、この楽曲が「音楽」というものについて、何か大きな疑問を投げかけているということが分かるのです。

「振り返る。(結論を除く。)/それは、/私{VOCA(VOICE)L(R)OID}に許された行動である。」という部分は、まさにそのことを示していると言えるでしょう。

その後の部分を見てみると、VOCALOIDとされる楽曲の、その認定が、どれだけ恣意的なものであるかを明らかにしているところです。「VOCALOIDというのは、VOCALOIDが命令されたとおりに文字を、あるメロディラインに添って読み上げた楽曲」という定義しか無いのであって、その点のみにおいて「通常の音楽と区別され」るのです。

そのとき、VOCALOIDと呼ばれる音楽のジャンルの自立性自体が危ぶまれることとなる。だから「ポピュラー」「ジャズ」「オルタナティブ」「エレクトロニカ」「ノイズ」のいずれとも解釈できる。

ここで重要なのは、さらりとこの並列の最後に「ノイズ」が並んでいる点だろうと思います。「ノイズ」とは(少なくとも一般の意味において)「音楽」でなどありはしない。しかし、VOCALOIDに、通常言う意味での(ポピュラーやジャズといった)ジャンル分けは通用しないのですから、VOCALOIDを「ノイズ」と呼ぶことも出来ないわけではないのです。

「誰もが同じ声を聴き、/分類を企て、/やげて失敗し、/放置された彼女は泣いているのでしょうか?」ここにはVOCALOIDのジャンル区分の不可能性、そのアナーキーな様子が端的に表現されていると言えます。

VOCALOIDは泣かない。/彼女はいつまでも/自由に空を飛ぶ。/それは、/私の思索を無視するように。/彼の解釈を破壊するように。」の部分は、そうしたアナーキーな様子について、VOCALOID自身が感知しないことを示すものです。VOCALOIDに向けられた擬人法は、(本物の)人間たちによるジャンル分けという「思索」「解釈」自体を無化する形で(自由に)、存在する(空を飛ぶ)のです。

 

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したがって、今回のこの楽曲の鍵となる部分は、第一に「音楽」自体を疑うこと、第二に「VOCALOID」というジャンルを疑うことにあるのではないでしょうか。

第一の疑いは、VOCALOIDが単に音声を読み上げている(メロディにのっているとすら言えない)この楽曲自体が、その疑いを先鋭化する形で突きつけていますし、第二の問いは、ジャンル区分する(生身の)人間の問題から、VOCALOIDに対して擬人法を使うことで、問題の所有者をズラし、「VOCALOIDは人間によるジャンル分けなど感知していない」と、ある種詩的な発想でそこに決着をつきつけています。

この「詩的な発想」というのが、実は第一の疑いに戻って、この楽曲を「音楽」たらしめているとも言えます。詩と歌を綿密に区分する必要が無いことは、すでにお分かりでしょう。ここに最大の面白さがあるだろうと思います。