review08:津村記久子「地獄」
僕は幼い時から物語を消費して生きてきたので、それが普通だとばかり思いこんでいたのだが、そうではないらしいということに最近気づいた。
というのも、どっしり疲れて、メンタルも荒んでいる時期に、僕はめっきり物語の類がダメになってしまって、まず小説は読めない、映画は途中から集中力が切れ、アニメやドラマさえ、数分おきに停止して深呼吸してからもう一度再生するということを繰り返していて、物語を消費するには相応の体力が必要だということに気づいたのだった。
この小説の主人公の「私」は、物語を消費しすぎたという罪で、そういう人向けの地獄に入れられることになった。そう、主人公が死んでいるのである。
純文学らしからぬ素っ頓狂な設定に驚く間も与えられぬままに、それがあたかも当然のことかのように展開する物語が読者に迫りくる。
「物語を消費しすぎた」という罪。なるほど、人が命を懸けた出来事を、趣味で消費するということの罪悪というのがあるのだろう。物語を消費するというのは、ある程度人間に与えられた基本的なスペックだろう。しかしそれも、ある閾値を超えると、罪になるらしい。
この小説は、そもそも小説という物語であるのであって、読者たちにこう迫るのである。あなたたちが今しているこの小説を読むという行為さえ、罪なのではないかと。