review05:津村記久子「給水塔と亀」
『村上春樹は、むずかしい』という本があるが、僕からすれば、よほど津村記久子の方が難しい。
津村記久子の小説には、いつも救いの光明が見えるような雰囲気がある。しかし、それが本当に「救い」と呼んで良い種のものなのか、怪しいものである。
この「給水塔と亀」も、「私」をめぐる一人称の短編であり、最後に明るい明日への期待が見られるようでいて、そうと断ずるのが躊躇われるところがある。
というのもこの小説を読んで気がつくのは、いつも「私」が何かを模倣しているということである。誰かを真似する。それは悪いことではないのかもしれない。しかしそこに明るい明日など期待できるのだろうか。
その感覚が、この小説を「明るい」と断ずることのできない理由である。